第8回例会会長挨拶

朝晩随分と涼しくなりました、新聞では早くも稲刈りが始まったと報道されております、すっかりと秋色になりました、
ふくしま21クラブの西川博美さんようこそお越しくださいました、後ほど簡単にご挨拶をお願いします、
昨日、郡山で地区のセミナーがありました、米山には私と五十嵐欽哉くん、IC・広報には佐藤日出夫君と馬場憲明会員、小田切秀介会員が出席されました、後ほど報告を願います、
今日は若松七日町にあります阿弥陀寺の事を紹介します、阿弥陀寺戊辰戦争で亡くなった東西両軍の殉難者が祀られております、
中でも新撰組の最後まで会津で戦った斎藤一の墓があります、大正時代に三期市長を務めた松本時正、昭和40年に鶴ヶ城天守閣を再建した横山武市長の墓もあります、松本市長は大正6年に50回忌に当たる戊辰戦争の慰霊祭を計画しましたが、賊軍という名が会津からまだ消えず公式には認められませんでした。
東西両軍戦没者ということならいいだろうという事で許可され50年経って初めて慰霊することができたのです、横山武は天守閣を再建し戊辰の役100年祭を実施しました、
阿弥陀寺には1281体の戦没者が眠っています、かつて大仏様もあり昔の面影をと再建の動きもある様です。
萱野権兵衛の遥拝碑もあります、萱野権兵衛は戊辰の役の責任を一手に背負い自刃します、その息子郡長正は、留学生となって九州豊津の育徳館で学びます、ある日、恋しくなって母親に手紙を出します、ひもじい思いをしてると、母親からは会津武士は弱音を吐かないと諭されます、それが他の者に知られ16歳という若さで割腹をするのです、豊津高校にはその碑が建てられ今でも毎年慰霊祭をしております、祀られている寺が阿弥陀寺なのです、
七日町の阿弥陀寺には芭蕉の句があります、芭蕉会津に来ておりませんが、何故かあります「ものいへば くちびるさみし 秋の風」
会津戦争を忍ばせる句なんでしょう、以上で会長挨拶を終わります。