5月1日(月)弘前城へ見事な花筏に逢えるかな

2時起床、布団が固くてすぐに眼が覚める、仕方なくオーディブルで王城の護衛者を聞く
短編だが司馬さんの傑作品、武士の本懐を会津に見つけた、
保科正之会津の基礎を作った、江戸勤めが多く戒めに御家訓を作り固く守らせた、
庶民を困られない掟も多くつくった、
家綱を補弼し江戸幕府の実質的支配者、
大火にあった時も庶民救済にコメ問屋の米を放出させ急を凌いだ、
天守閣も再建しなかった、大胆な舵取りを大鉈を振るって支えた、

会津は正之公から始まる、代々の殿様は一年の出来事をすべて土津神社に報告をしてた、
第一条に幕府を支えることが書いてある、ゆめゆめ怠る事のなきようと、
京都を支えることになったのは、ここを春嶽に突かれた、
7年に及ぶ護衛で孝明天皇の信頼を一身に受けた、
2通の御宸翰を死ぬまで肌身から離さなかった、

戊辰戦争会津は戦ったが容保はある意味犠牲になった、芯を貫いた。
上手く説明出来ないが最後の武士社会を会津は貫いたような気がする、
明治に入って政府から会津は悉く無視され、辛酸を舐めた、
今でも長州は許せないと思ってる人は多い、

昨日の角館はちょっと遅かった、4日前であったら満開に出会えたのだろうが花は待ってくれない、
それでも桧木内堤の桜は見事だった、120万人が訪れると言うから驚きだ、