1月27日(水)ミズノ方針発表イン東京

年に一度上得意様を招待し社長はじめ部門役員の方針発表会を行っている、約200名が参加した
聞く所によるとお取引額が3000万円以上の得意先だそうだ、ミズノもここ2,3年業績が上がらずヤキモキしている
今年は原点に還り丁寧なお取引を我慢強くやるそうだ、アシックスに抜かれ、ある意味開き直り、ミズノの良さを再確認し、
競技別に確りと取り組む姿勢は見られた、現在は販売形態が変貌しネット販売も大きなウエートを占めている、当社は
ネット販売を独立店舗として捉えている、提案外商、実店舗、ネット店舗が均衡を保ち成長できる体制を引いている。
F/Wの展示会を兼ねていたので野球の修理工房を主に見てきた、各商品郡ミズノの強みが発揮され実売に繋がるよう
願っている。
朝一番、王子に着いたので飛鳥山公園にある渋沢栄一史料館に行ってきた、渋沢は幕末、勤皇攘夷を標榜し水戸藩士と共に
幾つかの事件を起こし、渋沢は慶喜を慕い京にのぼり、念願叶い仕える、フランスより万博の招待を受け弟の昭武と共にフランスに渡る
ここで西洋の文化に触れ芽生える3年ほど見聞し帰国したが、慶喜の時代は終焉を迎える、戊辰戦争会津が陥落すると明治政府が確立される
栄一は大蔵大臣に就任するが、大久保と意見が合わず辞し、



産業界に身を置く、第一国立銀行を皮切りに日本の基礎なる会社、約500社立ち上げる
博愛団体にも育成し600もの団体を作った、特に女子に関わるものは非常に多い、91歳まで生き抜き昭和6年に世を去った。