9月25日(土) 多川俊英興福寺貫主・山田法胤薬師寺貫主の講演を聞く





今日は10時より磐梯町町制50周年記念として慧日寺開祖徳一と縁の深い
奈良興福寺貫主、多川俊英様の講演を聞くことが出来た、
3年前にも磐梯町にお出でになった時に
初めて聞いた、穏やかで諭すように語り掛ける貫主は同じ年で同じ立命出身とは思えない立派な方であった
3年前は法相宗の教え唯識論を解説され、なかでも阿頼耶識のことが印象に残っている

今回の講演は「徳一菩薩のご縁・・不善は生ぜず、善法は滅せず」と題して講演された
なぜ奈良の高僧が遠く会津の地にやって来たかは、今尚謎めいている
徳一は法相の教えを修円(興福寺)より学んだ

徳一菩薩は藤原押勝の子供とされている、奈良にいれば、何不自由なく高僧として終えたのに
806年に大噴火した磐梯山麓に大同2年(807)に来て、慧日寺を創った
59歳といえば高齢にあたるが、87歳で亡くなるまでに会津に仏教を説いた
薬師本尊を作った、勝常寺には国宝、薬師如来が祀られている
坂下の上宇内薬師堂には会津5薬師の一つ薬師如来坐像が安置されている
柳津の福満寺も徳一が創ったと言う

多川貫主の申すには、徳一菩薩は生きている、1200年前に広めたことが
平成の現代に蘇って来て華を咲かせようとしています
荒んだ心に阿頼耶識の教えを据え、人間本来の姿を示そうと現れていたと言う
不善は生ぜず、善法は滅せず
不善とはよく無い事いつかはなくなる、善法、よきことはいつまでもつづき滅びる事はない
仏の訓えは心豊かに争いのない、助け合いの生き方を説いたものであると結んだ

午後に喜多方で「会津まほろば塾」シンポジウムがあった

こころをいやすまほろばの里、奈良薬師寺貫主山田法胤さんが記念講演をされた
貫主高田好胤さんは焼失した薬師寺を再建するに多大な貢献をされ

やまとは国のまほろば たたなづく青垣 山こもれろ やまとしうるはし
(大和は国の中で一番優れた所である、四方には青い山々が垣根のように折り重なって巡っている大和は美しい)
大和武尊が詠んだ

真秀呂場(まほろば)とは天地の利恵まれ、人々が代々住み易い美しい土地を表わす言葉であると言う
何故か会津を以前からまほろばと読んでいた
まほろば街道を広めようと立ち上がったグループが今回のシンポジウムを開催した

山田貫主とは初めてお会いした、穏やかで温顔な語りはありがたみを感じる
見識深く神々の伝説から入り、仏法の言葉を巧みに説く
こころを広くすれば、宇宙をも通す、
こころを狭くすれば、針をも通さじ、
戦後日本人はいにしえのこころを喪い、明治以来経済と国力に翻弄されてきた
いま一度こころに手を当て未来の子供たちに残せる地球をよみ還らせることが寛容と結ばれた

徳をした一日であった、感謝