2月15日(金)ならぬことはならぬものです

ならぬことはならぬものです

今年の大河ドラマ、「八重の桜」は山本八重が主人公で描かれております、兄の山本覚馬は明治の京都を作った偉い人です。
薩摩藩に幽因され、しかも失明していたが、管見を口述した。
それが西郷隆盛小松帯刀の目に止まり、荒廃していた京都再興に、
一役買ったのであります。

八重が育った会津藩の環境は幼少年から藩士まで、藩祖保科正之
制定した会津藩家訓(かきん)15条を硬く守り通しました。
正之は二代将軍秀忠の子、家光とは異母弟、信州高遠藩で育てられ
家光を支え、家綱輔弼役を務める、山形最上藩を経て、
会津23万石を与えられました。
ここからが会津藩の主なるものです。
初回放送の八重の桜、何べんも語られたのは、
ならぬことはならぬのです、の教えでありました。
この教えは、天明の大飢饉に藩財政を立て直す為、家老の田中玄宰(はるなか)が改革に着手し、その一環に藩校日新館を創設、修学前の子供から日新館童子訓「什の掟」を叩き込まれた。
この教えは、七カ条からなり、
最後にならぬことはならぬのです、で結んであります。

1、年長者のいうことにそむいてはなりませぬ。

2、年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。

3、嘘をいってはなりませぬ。

4、卑怯な振舞いをしてはなりませぬ。

5、弱いものをいじめてはなりませぬ。

6、戸外でものを食べてはなりませぬ。

7、戸外で女の人と言葉を交わしてはなりませぬ。

ならぬことはならぬものです。

これを受けて若松市では、あいづっこ宣言を制定しました。
1、人をいたわります。

2、ありがとう、ごめんなさいをいいます。

3、がまんをします。

4、卑怯な振る舞いをしません。

5、会津を誇り年長を敬います。

6、夢に向かってがんばります。

やってはならぬ、
やらねばならぬ、
ならぬことはならぬものです。

会津の学童は機会あるごとに諳んじているようです。
私も会津に育った者ですが、
子ども時代は理屈抜きで理不尽な事をしたら、
こっぴどく叱られました。
ダメなものはダメだ、が口癖でした。

八重の桜を見て頂くと会津の何たるかの少しは分かって頂けると思います。
会津人には一途で頑固な所があります、その象徴は伊東正義官房長官
大平正芳総理が急逝し、臨時総理大臣になり内外情勢を仕切り、総理になるのかと皆が思ったが頑なに固辞し総理の椅子を蹴りました。

また、会津には三度泣きという事があります。
はじめは左遷されて泣き、赴任したら会津人の親切さに泣き、
離任する時に会津を離れたくないと泣く、
会津の良さは酒の良さ、人の良さといいます、
一度は訪れてみなんしょ。ごっそおいっぺ、あっから、、、