10月26日(日)松井君の案内、

3時起床、Facebook、メールのチェック、
7時に神戸から松井君が来てくれる、二人の漫遊記が始まる、
朝飯を食べていたら、今着いたの電話、慌てて準備、忘れ物はないか、
慎重にチェック、大丈夫、チェックアウトを済ませ、出掛ける、
お待たせ、さぁ行こうか、本日のコースは吉備路を走り、鬼ノ城がメーン
朝一は吉備津彦神社、桃太郎伝説の神社、
両脇にデッカイ灯篭がある、恐らく日本一だろう、

続いて、吉備津神社、神話と古代ロマンが息づく、全国唯一の比翼入母屋造の社、
国宝に指定されている、また総長400mの廻廊、釜の湯気で占う鳴釜神事、

続いて、備中国分寺、美しい田園風景に吉備路のシンボル五重塔が鎮座する、
高さ34.3m重文にしてされている、
御朱印を頂きたかったが朝早く社務所が開いてない、

いよいよ、目的の鬼ノ城へ
鬼ノ城の伝説は、温羅の居城跡として、古くから言い伝えられていたが、
昭和46年に列石や水門が発見され、古代に築かれた山城であることが判明した、
100名山に選定されたのは平成18年のこと、概要は

晴天に恵まれ、眺めも絶景だった、

降りたところに砂川公園があり、
日曜日で多くの人がバーベキューを楽しんでいる、
隣に柿園がある、600円で食べ放題、お土産柿が6個付く、
柿園など珍しい、試食をしたら美味しい、一袋1000円を買い込む。

続いて、雪舟の誕生寺宝福寺へ参拝、
ここは座禅寺座禅のいろはがパンフレットに、
目は半目、姿勢を正す、法界定印、結跏趺坐、半跏結跏趺坐
心を落ち着ける、呼吸を整える、けんさくの意味を知る
門前の銅像雪舟の少年時の像が、

続いて、備中高松城へ、毛利攻めの前哨戦水攻めで有名になった、
宗治は毛利家の重臣小早川隆景に仕えていた、義理堅く、徳の人と言われたいた、
清水宗治は隆景の軍師恵瓊の説得で和議を結ぶ、
船上での切腹は有名、辞世の句は、
「浮世をば、今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して」持ってた脇差は両刃であった、
秀吉、官兵衛は本能寺の変明智光秀謀反に対し、天下取りの第一関門、
中国大返しの出来事だった、

続いて、旧山陽道、18番目の宿場町矢掛を訪れる、
午前中に祭があり訪れた頃には後片付け最中、
ここは国指定重要文化財の石井家の矢掛本陣を見学する、
全国でも本陣、脇本陣が共に国指定重要文化財は珍しい、
通りは、宿場の雰囲気があるが電柱が蜘蛛の巣のように張っている、
聞いたら、当時金がなく仕方なくやらなかったという、景観がイマイチだ、

最後は吉備真備の像を見て倉敷へ、


明日は、早朝倉敷を見学し、四国に渡る、