11月30日(日)大島秀一逝く

2時半起床、昨日の新聞に大島秀一訃報とある、
62歳まだ若い、惜しい人物だ、
彼と知り合ったのは、JC時代、
確か若松のトライアングルと言う企画会社に勤めておりJCの取材か、
イベントの企画かで、
事務所に出入りしていた、ニヒルな男、頭も切れた、
何故か坂下には似合わぬ飛んだ人間であった、

私の同級生に庄司君が居る、
キャップと言う企画会社を横田さんと立ち上げていた、
早稲田大学出身のバリバリ、一攫千金の夢を描いていたのか、

坂下の太郎庵はいち早く企画キャップと手を組み、
成長軌道に乗せた、
高度成長期、何をするにも斬新な企画が必要だった、
JCに集まる青年も、若さ漲り精神修養を積み、
新たなる時代に対応する準備をしている様に見えた、

私もJC活動で触発されたひとりだ、
JCプログラムには指導力開発、経営力開発、社会開発とか
やたらパイオニア養成が多かった、
毎年、各務原で全国の指導力開発委員会養成のセミナーが開かれていた、
スポンサーの喜多方からお誘いを受け、
委員長だった私は会員の和泉田さん、
小林くんを誘い希望と不安の入り混じりの中出掛けた、

お寺をお借りしてのセミナー、2泊3日だった、
心が入れ替わったように鍛えられた、
このままではいけないと生きる希望を見出したようだっだ、
小林くんはいち早くセブンイレブンをオープンさせた、
今は亡き周司さんも赤べこレストランを開業、

磯目君は、コンピューターシステム会社を立ち上げた、
竹内君、周司さん、斎藤君、新国君、猪俣君等は町会議員に
今は亡き竹内君は町長を3期勤め任期半ばで病に侵された。
初代の小澤さんは県会議員、
河沼が坂下を中心に回り始めていたようだった、
それぞれが大活躍をしていた、
坂下の町中はJCの連中が大きな話題に上がっていた、

大島秀一君は結婚後、鈴木建設の上役に抜擢され、建設業へ入る、
切れ者大島秀一はこの世界でも腕を発揮した、

建設業界が温泉を掘り当てた、
町は第三セクターでこの温泉をどう経営するかで話題に上がったが、
白羽の矢は大島君を指名、彼は温泉経営に乗り出した、
竹下登ふるさと創生一億円が齎したムーブメント、
彼は持ち前のアイディアを駆使し、各地の温泉グループを結成する、
ローマ時代のマロニエ到来のようだった。

絶頂期での心労が祟ったのか癌に侵された、
息子の嘉仁は立派に成長し、声楽を学ぶ為イタリア留学、
坂下ロータリーが手助けをした、オペラ歌手になるには、
それなりの運不運が付きまとう、喜多方RCも吉原輝さんを留学させた、
彼はドイツで芽を出した、立派な活躍をしている。

私が会長時、喜多方公演の手助けをして1200名の聴衆を集めた。
輝さんは、震災時の募金活動ドイツで行い、多くの義援金を贈ってくれた。
大島秀一も息子の晴れ舞台を観たかっただろうが、人生思うようにはいかないのが常だ。
闘病生活も辛かったろう、
来世があるなら持ち前の企画力でまた活躍してほしい、
走馬灯のように浮かんでは消え、消えては浮かぶ大島秀一に合掌する。