2月22日(日)伊賀上野城を見学し松阪へ

3時半起床、昨夜はテレビをつけっぱなし、
金縛りにあったようにベットから動けない、
iPad Airで何時もの情報を観て、5時にお風呂へ行く、
夜半に雨が降ったのか、道路は濡れている、
窓越しに伊賀上野城がくっきりと見える、高い石垣だ、
藤堂高虎はきずいた、
忍者の里、伊賀の国山に囲まれた9里四方の小さな盆地、
秀吉の没後、家康は関ヶ原の戦いに勝ち、前の城主定次を排し、
伊予今治城から藤堂高虎が城主となった、
自ら縄張りを指図、
本丸を30mの高石垣で包み、拡張し護送の天守閣を作った。
慶長17年の災害で倒壊、昔の上野城は5層だった、

現在の三層天守閣は、地元の名士川崎克が私財を投じて純木造で復興天守を再建、
高石垣と言い、天守閣も立派だった、

ここ伊賀上野は、芭蕉の生誕地、俳聖堂が立派に立っている、
芭蕉の姿を現している、

松阪には学生時代に大変お世話になった、小林秀則が住んでいる、
年賀状の交換は欠かさなかった、彼は教員で三重高校学校長を始め、
多くの高校長を務めた、電話をしたら懐かしく弾み、12時頃松阪に着くと言ったら、
駅で待っててくれた、46年ぶりの再会、お互い年輪は重ねたが、
友と会える喜びはまた一塩だ、
午前中、息子さんの見合いがあり、上手く決まればいいのだが、、、
相手は宝塚ジェンヌ、息子さんは一目惚れしたそうだ、
高知大学で教鞭をとっているエリート、京大出身、

昼は小林君にご馳走になった、松坂牛専門店、創業明治35年牛銀本店とある、
予約を入れ30分ぐらいかかるらしく、町屋見学、
松阪商人は豪商が多かった、代表格は三井財閥
近く銀座のライオンを持って来るそうだ
小津清左衛門家の館、原田二郎旧宅、
蒲生氏郷がお城建設と町屋を作った、
会津若松も同じだ。
ここ松阪では、蒲生さんと親しく呼ぶ、
秀吉と相性が悪く、氏郷は日野、松阪、若松と移封された、
戦国時代、一番恐れられた武将なのだろう。
野面積みの石垣は、今まで一度も修理をしてないという、
兎に角石垣が立派だ、

牛銀本店へ戻る、丁度良く順番に成っていた、
私はメニューを見なかった、小林君と同じものお願いします、
割勘でお願いと言ったが、承知しない、会津に行ったらわがまま言うから、、
積もる話に花を咲かせ、運ばれたステーキ、
一口食ってビックリ、とろける美味さ、生まれて初めて食べる高級品、

お城見学、本居宣長記念館、侍屋敷、見所満載の松阪、
隣は伊勢神宮らしい、良いトコだった。