11月26日(木)花燃ゆ、最終回までのあらすじを見る

2時半起床、Facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
原節子さんが亡くなった、95歳、
昭和37年、忠臣蔵を最後に突然引退し、公の場には一切姿を見せなかった、
何故だろうと疑問がわく、誰でもが憧れた原節子さん、美貌で笑顔が素敵、
大女優の風格は備わっていた、美しいイメージをそのまま残したかったのか、
レジェンドな人となった、

ロシアラブロフ外相、トルコと戦う事は考えず、と表明安堵した、
プーチンは独裁者的風格がある、トルコとダンパチをしたらIS撲滅ところではない、
12/3からヨーロッパ旅行に出掛ける、
紛争最中に出かけるので心配でしょうがない、

花燃ゆ、最後までのネタばれを読んだ、
吉田松陰の生涯は日本の夜明け、攘夷思想を吹き付け植民地に成らずに済んだ立役者、
会津に取って長州は許せない存在だが、
日本を救ったのも長州藩から起こった尊皇攘夷思想のように思える、
ここからは、ネタばれを書いた方の感想だ、
幕末から明治維新といった動乱の時代、
そして日本が世界の列強国と肩を並べる礎となった明治、大正といった激動の世の中を、
強い意思と至誠を持って、自分の信念を貫いてきた美和。

その人生はまるで荒れ狂う嵐の中を、時には迷いつつも、
着実に航路を進んでいくしなやかで力強い一艘の帆船のようでした。

美和、楫取、そして久坂、高杉、寅次郎たち維新の同志たちの思いや至誠は、
その時代から150年経った現代の我々にも脈々と引き継がれ、
そして生き続けることになるのです。

私がこの「花燃ゆ」を通じて特に感じたのは、真心、誠意を込める大切さです。

寅次郎が孟子の一節として大切にしていた次のことばが特に印象深かったです。

「至誠にして動うごかざる者ものは、未いまだ之これ有あらざるなり」

奇しくも今私は留魂録を読んでいる、松陰最後の獄中で書き上げた一日の記録、
門下生に思いを託し、自らの命を捧げた松陰、
松陰なかりせば、今の日本は無かった、