1月元旦(月)年の始め

2時起床、facebookダイヤモンド富士の写真が載ってた、
記念に載せさせて頂く、

全国の年明け風景を見て映画「蜩ノ記」を見る、

蜩ノ記』と 名づけられた秋谷の日記には、「何事も生きた事実のままを書きとどめよ」という前藩主 の言葉を守り、切腹が迫りつつも一日一日を大切に家譜づくりに生きる彼の姿があり、
庄三郎は秋谷のそのゆるぎない姿、そしてそれを全力で支える家族の愛情に感銘を 受ける。

続いて見たのがハーメルン、大震災のあった2011年にクランクイン、
夫婦で見に行ったが奥が深くストーリーが読みきれずモアっとした霞かかった思いだった、

坪川拓史監督と哲学者鞍田さんの対談を見て幾分か謎が解けた、
ドイツの田舎村ハーメルンの伝説をもとに創作された、
カノン(輪唱)追っかけて追っかけて追っかけて、、、無限に続く何かを求めている、
旧喰丸小学校は取り壊さず改築に乗り出しカノンを探す題材に活用するらしい、
対談内容の一部
鞍田 そういえば、映画で元校長先生が、
「僕は、昔の子どもたちと、これからの子どもたちのその真ん中に座っていることだけしかできないんだから。
それに学校に誰もいなかったら、誰かが来たときに寂しいだろ」とつぶやくシーンがありますよね。

そもそも小学校という場所は、無限にバトンをつないで、つながっていく場所だという意味だったりするのかな。

坪川 まさにそういうことだろうなぁと。

「カノン」ってつまり、何億年も輪唱してきて、いまを越えてこれからに続くということなんだけど。だからきっと喰丸小学校という存在そのものも、「カノン」なんです。こんなこと、今日初めて言います。

カノンがつながる未来を想う

廃校から37年。

初めて「喰丸小」を訪ねたときのことが忘れられません。眩しい夏の日差しとは対照的に、その校舎はひっそりと寡黙で寂しそう。おそるおそる校内に足を踏み入れてみると、外側から感じた寂しさはスーッと薄まり、懐かしくあたたかな気持ちに包まれました。

階段の踊り場で見つけた、「トントントン ひそみ足」という掲示。柔らかな文字で記された手書きの教訓に嬉しさもこみ上げて。放置されているのではなく、ここは、丁寧に大切に使われてきた場所。いとおしい記憶の痕跡を、ソッとそのまま残しながら──。

いまなお親しまれ、愛されている「喰丸小」は、このたびの対談のおふたりが語っているように、土地に根ざし自然に寄り添う昭和村の暮らしといとなみの縮図そのものと呼べる存在です。

学校という学びの場、キーストーンスピーシーズ、そして映画『ハーメルン』。喰丸小が結びつけてくれたものを、ひとことで言い表すことはとてもできません。

ただ、かけがえのないこの場所も、村のひとたちの力だけでは守りきれない厳しさがあることもまた、現実で。
元旦詣りは近くの法用寺と龍興寺

四計という言葉がある、
一日の計、一生の計、一家の計、そして一年の計
その初めに、一年の計は元旦にあり、
健康で笑顔忘れず家庭円満に人には迷惑を掛けず、嘘は禁物、
早寝早起き、温故知新、読書は1ページから、、
青山不動白雲自来也の心
人間万事塞翁が馬の気持ち、
こんな気持ちかなぁ、、、

困った人には手を伸ばし、
皆んなに木偶の坊と呼ばれても気にかけず、静かに穏やかにひっそりと生きて生きたい、
思い付いたことは日記に書き込み記録に残す、
食事は少塩多酢、少糖多果、茶碗一杯のご飯、