5月21日(火)久し振りの大雨、秋山辰栄先生の訪問を受ける

3時起床、血圧測定 129/77脈拍72、

facebook、メール、NHKオンラインをチェック、

雨の少なかったこの頃、恵みの雨が大量に降った、田植えを終え苗が育つごろに降ってくれた雨は恵みの雨なのだろう、新鶴温泉でもと出かけるか、その前に会社に寄ってご機嫌伺い、皆張り切って頑張ってくれている、勇人君もネット専門になり売り上げをグングンアップしているようだ、私の病気の事が気になるのか心配そうな顔をしてるがなるようにしかならないしあとはお医者さんに任せるしかないからと言っておいた。

ガソリンを満タンに入れ、そうだ散髪に行っておくか、1300円のスーパー散髪カットのみを頼む、さて温泉へと向かったが駐車場が満員、大雨で農作業も休み、温泉が一番と混んでいるのだろう、温泉前の農家売店でアスパラとニラを買う、1束100円新鮮で安い、温泉は入らずに帰宅、

ニラ炒めをネットで調べ早速料理、べんりな世の中で簡単においしく食べられる、

オンデマンドで板垣退助の生き様を見る、明治を作った恩人だ、戊辰戦争では会津に入り板垣にやられたと言うほどの戦争巧者で遂には降参に追いやられた。

ウトウトと仮眠、下からお父さん秋山先生が来たよと声がかかる、

長男勇偉社長の嫁さんのお父さん、会津高校の先生をしてる、80は言うに超えている、

秋山悌次郎は幕末動乱の京都に「日本一の学生」とよばれたサムライがいた、

秋山先生に勧められ読んだ「落下は枝に還らずとも」気骨のある会津人秋山悌次郎の人生を描いた本だ晩年は熊本五校で教鞭をとり、同じ五校にいたラフカディオ・ハーンは「神のような人」と悌次郎を揶揄した、

秋山先生も何処か似ている、

先生も平成元年に腎臓癌に侵され右の腎臓を手術して摘出された、その経験を聞かせて頂いた、

あれから30年が経ち食事療法で克服された、塩分は極力控えにしないといけないよ、なにせ一病息災

自分で制御しないと生きていけない、術後の人生は病魔との戦いが続くようだ。

父勇吉の晩年は書斎に篭り読書に浸かってた、

口癖は「名もなく、金もなく、地位もない」悠々自適な人生を送った、人には迷惑をかけず、何を食べても「旨い」の一言、旅日記を描くのが唯一の楽しみ、私も残された人生をこうありたいと願っている。