6月10日(月)老夫婦一日中「おしん」漬け、泣けたねぇ、総理の椅子を蹴った伊東正義先生

f:id:yuken1220:20190611043030j:image

伊東正義(いとう・まさよし)
1913年、福島県会津若松市生まれ。生家は会津藩士の家系で、祖父は戊辰戦争にも参加した。第二次大平内閣での官房長官を皮切りに、外務大臣政調会長、総務会長など要職を務めた。衆院議員当選は計9回

平出 昭和54年(1979年)11月に発足した第二次大平内閣で、伊東先生は初入閣ながら内閣官房長官を務めました。しかし、発足から半年余りで、大平総理が心筋梗塞で急逝してしまう。

伊東先生は総理臨時代理となりましたが、決して総理執務室には入らず、官房長官室で執務をされていました。総理執務室には大平さんの遺影を飾り、なにかあれば、都度、遺影に報告に行く。報告が終わると、また官房長官室に戻る。

盟友が総理在任中に亡くなるというショックにもかかわらず、淡々と執務をこなしていた。普通はできることではないでしょう。

平出 先生はイメージ通りに本当に清廉でしたよ。伊東先生の選挙は本当におカネを使わない。一軒一軒回るドブ板選挙です。それと毎日、有権者などいろんな人たちに30~50枚もの葉書も書いていました。これは大臣になっても続けていました。

とても真似できることではありません。読書家で、政治、外交、文学など大量の蔵書もありました。ただ、実はその中で一番読んだのは「昭和歌謡」の本(笑)。新国立劇場に芝居を観に行ったり、大の相撲好きでもありましたね。

伊東先生が政治家を目指し立候補された時、私の親父は責任者になり孤軍奮闘して応援し当選させた、

何度かお目にもかかったしお話も伺った、会津人を地で行く頑固者、凄かった。

先生のような方は二度と現れない大政治家だった、

 

昨日に続き何することなくオンデマンドで「おしん」を見まくった、10時間は見たであろう、

良くできたドラマだ、戦争被害で夫龍三は自殺、長男雄はフィリピンで餓死、仁は特攻志願だったが

機体故障で終戦を迎え辛うじて生きて帰る、昭和の30年代田倉商店がセルフの店スーパーマーケットに変身して行くおしんの奮闘が最後のドラマだ、今日も見続けるか、、、。