7月18日(木)どうも今年は冷夏になりそうだ。映画「新聞記者」

どんよりと曇った会津盆地、病院という所はなかなか眠れない今日で入院して2週間になる、病室も出入りが多く4人部屋で2人が入れ替わった。手術をされた方ばかりだ傷が痛みあちこちから悲鳴に近い声が聞こえる、隣の方は胃がんで胃を全摘出されたようだ、熟睡は出来ないから細かく寝るようにはしてる、斜向かいの方は今日が手術日戦争中の病院のようで次から次と運ばれてくる。

経過は良好で今日あたりに抜糸が取れてシャワーを浴びることが出来るかもしれない、傷口全体に違和感は拭えないこれは時が解決してくれるだろう、昨日リハビリで病院内敷地を歩いた階段も登った回復力はいい方だ。

今年は異常気象で日照時間が少なくきゅうり、ナス、トマト、果樹も値が高いそうだ、米に影響が出なけりゃいいが、異常気象は自然界を狂わせ災害も顕著に現れる、現に九州全体に線状降雨帯が居座り水災害は多くの街を襲った、国の防衛も大事だが国内の災害に強い都市づくりの方が大事に思えるが、

オランダは海より低い土地を造成しオランダという国はオランダ人が作った国と誰もが自慢する、

地震、水害、土砂崩れ、雪害、国内インフラの方が先のように思えるが。。。

今日も1日平穏に暮らせることを願う。

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これほど深い意味が潜んでいるとは知らず見て来たが、見終えて身震いしたように感じて来た。

くわしく分析された記事が乗ってたので掲載して置く。

映画「新聞記者」の描くリアル日本の監視社会の絶望と希望をFace Book に投稿しました。

                      海渡雄一

映画「新聞記者」を見て

とにかく面白い。最後まで、息つく間もなく見せる力を持ったサスペンスムービーだ。そして、これは日本の映画界では久しく見ることができなくなっていた種類の政治劇でもある。近来、日本の政治権力の醜い姿を、これだけ赤裸々に描いた映画があっただろうか?監督・脚本を担当した藤井道人は1986年生まれ、日本映画のニューウェーブの誕生である。
私は、この映画の深いところにあるテーマは、真実を報道しようとする調査ジャーナリズムが、深まり行くデジタル監視社会のもとで生き延びることができるかどうかという点にあったように思う。

新聞記者吉岡エリカ対内閣情報調査室員杉浦拓海

この映画の主人公は二人。外務省から内閣府に出向している幹部職員の死の真相を突き止めるために調査を重ねていく吉岡エリカ記者、吉岡記者の父も新聞記者で、誤報を指摘され、自殺したとされているが、吉岡記者は父は自殺などするわけがないと信じ、父の死の真実を突き止めようとしてきた。この映画が、迫真性があるのは、吉岡エリカ記者の真実をみつめるまっすぐの目線があまりにもリアルだからだ。
対する内閣情報調査室員杉浦拓海は、神崎の後輩であり、外務省から内閣府に出向させられている。国家公務員として国民に尽くしたいという矜持をもち、身重の妻を思いやる心優しい青 年である。杉浦は、自らのやっている仕事に疑問を持ち、吉岡の視線に射貫かれ、ためらいながら決断しようとしていく。

吉岡記者を演じたのは、韓国の若手演技派のトップ女優シム・ウンギョンである。子役時代にはドラマ「ファンジニ」の主人公の少女時代、「王になった男」の少女女官役など注目されてきたが、「怪しい彼女」で多くの賞を獲得し、大ブレイクした。70歳のおばあちゃんマンスルが突然20歳オ・ドゥリに若返り、若かったときの歌手になりたいという夢をかなえていくという、破天荒だが、非常に難しい役を演じきった。この映画でも、ウンギョンは、真実をあきらかにしたいとひたむきに追いかける吉岡エリカの精神の核を形づくるジャーナリスト魂をスクリーンに定着させた。

内閣情報調査室員杉浦拓海を演じたのは日本の映画界の若手ホープ松坂桃李である。この映画のキャスティングを断らなかったことだけで賞賛に値するが、内調幹部からの指示に疑問を呈しながら従ってしまう弱さ、自らも監視され家族に危害が及ぶのではないか考えすくんでしまう優柔さ、しかし、何かに押されるように、通報へと踏み出そうとする強さの揺れ動く感情の襞を見事に表現した。萎縮する表現の自由の現場をこれほどリアルに描くことができたのは松坂の繊細な感性の賜だ。

この映画はフィクションである。そして、吉岡と杉浦の告発が成就したのか、それとも官邸ポリスの反撃が成功するのか、わからないまま映画は終わる。現実が決着がついていないのであるから、この終わり方は、むしろ必然的なものだったろう。

日本の官邸は独裁国家のように振る舞っている

この映画は東京新聞社会部の望月衣塑子記者の「新聞記者」を原案としている。
7月5日の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は日本政府が会見で記者の質問を制限したり、記者クラブに加盟していないジャーナリストの出席を拒んだりしているとして、「日本は報道の自由憲法に記された現代の民主国家だが、時には独裁政権のように振る舞っている」と批判した。この記事は、菅義偉官房長官が定例会見で質問を繰り返し物議を醸してきた東京 新聞の望月記者に、「あなたに答える必要はない」と回答を拒んだことなどをとりあげ、情報が取得できなくなることを恐れ、多くの記者が当局との対立を避ける中、「日本の報道の自由にとって彼女は庶民の英雄になっている」と報道している。

調査ジャーナリズムの成立する前提

政治権力にとって都合の悪い、政府が必死で隠そうとする情報を市民が手にするためには、粘り強い調査ジャーナリズムとジャーナリストに対してその情報を手渡そうとする行政機関や企業内の通報者が必要である。
監視社会が深まると、調査ジャーナリストと通報者の双方が、その政治権力による監視の下に置かれる。特定され、追尾され、脅され、屈服を迫られる。そのような状況の下で、調査ジャーナリズムを担うジャーナリストと通報者には、これまでにない慎重な行動と強い勇気が求められているように見える。

ペンタゴンペーパーの場合
ベトナム戦争を終わらせたのは、ペンタゴンペーパーに関する新聞記事であった。通報者の米軍の情報分析官ダニエル・エルズバーグが、1971年、コピーを作成してニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者、ワシントンポストなどにこれを手渡した。ニューヨーク・タイムズは特別チームを作り、1971年6月13日から連載で記事を掲載し、ワシントンポストもこれを追った。
ニクソン大統領は司法省に記事差し止めを命じ、連邦地方裁判所ニューヨーク・タイムズワシントンポストを提訴した。1971年6月30日アメリカの連邦最高裁は「政府は証明責任を果たしていない」という理由で政府の差止請求は却下された。
ペンタゴンペーパーによると、アメリカ軍がベトナムに本格的に介入するきっかけになった1964年8月の、北ベトナム海軍によるトンキン湾の魚雷攻撃事件の2回目はまさしくこのペンタゴン・ペーパーズの中に「アメリカ側で仕組んで捏造した事件だった」と暴露されている。米連邦最高裁フーゴ・L・ブラック判事は「自由で拘束されない新聞のみが、政府の欺瞞を効果的にあばくことができる。そして自由な新聞の負う責任のうち至高の義務は、政府が国民を欺き、国民を遠い国々に送り込んで異境の悪疫、異国の銃弾に倒れるのを防ぐことである。」と補足意見の中で述べている(1971年6月ニューヨークタイムス事件最高裁判決における同判事意見より)。他方で、エルズバーグ氏らは1971年6月窃盗、1917年スパイ法違反(国家秘密の漏洩)などの罪で起訴された。起訴罪名の合計刑期は115年に達する重罪起訴であった。エルズバーグは「責任あるアメリカ市民としてこれ以上この秘密を隠し続けることに荷担できない」との声明を発表した。政府がカルテの窃盗や令状なしの盗聴を繰り返していたことが判明し、連邦地裁判事は「政府の不正」があったとしてこの刑事起訴を却下した。内部通報者とジャーナリストの協働がベトナム戦争を終わらせ、アメリカと世界の歴史を変えたのである。
 
 スノーデンショック
NSAの契約先の技術者であったエドワード・スノーデン氏は、2013年6月、ポイトラス氏、グリ-ンウォルド氏、そして英ガーディアン紙に情報を提供し、NSAがあらたに開発したプリズムというシステムを使って、SNSやクラウド・サービス、あるいはインターネットの接続業者など大手のIT企業9社のサーバーから直接網羅的にデータを収集していたという事実を暴露したのである。
トップシークレットを保持する内部告発者とこれを報道する熱意と能力と勇気のあるジャーナリストが出会うことができ、報道ができたこと自体が奇跡だ。
スノーデン氏は、ロシアに亡命し、アメリカに入国することはできなくなっている。しかし、スノーデン氏は、ネットを通じて世界中の市民のために、講演し、プライバシーと表現の自由の危機についての伝道者となった。ジャーナリストたちも、危機的な状況はあったが、逮捕起訴には至っていない。

内閣情報調査室に、官邸ポリスは本当に存在するのか

映画「新聞記者」を成り立たせている前提は、内閣府内閣情報調査室の中に、官邸の政治目的に奉仕する情報警察組織が作られ、この組織が、犯罪の捜査のためではなく、官邸の政治的な敵対者を黙らせ、無力化するために監視捜査で集めた情報を駆使して、権力になびいている官製のジャーナリズムに報道させ、またネット上でも工作を繰り広げているという仮説である。ここでは捜査機関の政治的中立性などの理念はかなぐり捨てられ、総理を支えることが自己目的化され、まさに政権の私兵と化しているさまが映画では描かれる。
映画では、官邸前にある、内閣府内閣官房ビルの中の内閣情報調査室の中に官邸ポリスは存在するとされている。そこで行われている、情報の収集とこれを使った操作の諸活動こそが、この映画が映し出した日本の国家権力の実像なのである。

内閣府内閣情報調査室は存在する。北村滋内閣情報官は、今年度の内調の新人採用のためのパンフレット「採用案内2019」で、次のように自負を述べている。

「近年、我が国の安全保障体制の強化が進められており、インテリジェンス機能の強化はその中の極めて重要な柱となっている。まず国家安全保障会議(NSC)が発足し、安全保障法制が整備されたことにより、政策部門の必要とする情報を提供するインテリジェンス部門の重要性が一層明確になった。次に、安全保障上の重要機密情報を適正に管理するための 「器」とも言える特定秘密保護法が施行されたことにより、インテリジェンス機関が国内外の機関との連携を深化させることが可能となった。そして平成27年には、官邸直轄の情報収集部隊である国際テロ情報収集ユニットが発足し、我が国が海外においてfirst handの人的情報収集を進めていく上で大きな一歩となった。 さらに、昨年夏には、関係11省庁の職員が一堂に勤務する国際テロ対策等情報共有センターがスタートし、テロ容疑事案等に関する情報の迅速な共有、分析を進めている。」
「現在、内閣情報官として、多忙を極める総理日程の中、概ね週2回の定例報告の他、必要な場合には臨時の報告を行っている。そのため、当室のスタッフと力をあわせ、常にアンテナを高くし速やかに情報収集するとともに、必要な情報が集約されているか、情報の分析は的確か、報告の直前まで日々苦労しながら準備に注力している。インテリジェンスは縁の下の力持ちである。総理を直接支え、陰ながら我が国の安全の確保に貢献する誇りと使命感 を得ることができる職務である。複雑化する脅威を前に、柔軟かつ的確な情報収集・分析を行うためには、画一的ではない多様な知識・経験を持った集団となることが求められている。少数なれば、精鋭たれ。新たな諸課題にチャレンジする進取の気概を持つ諸君が内閣情報調査室の一員に加わることを願ってやまない。」

そして、このパンフレットの本文でも、内閣情報調査室は「総理の目と耳としての役割を果たし、官邸の柔軟かつ機敏な政策決定を支援しています。」とされている。半ば、開き直って官邸ポリスの存在を認めているようにも見える。

官邸ポリスの集めた情報で官僚・政治家を恐怖支配

2018年末に「官邸ポリス」と言う題名の本が講談社から出版された。著者は「東京大学法学部卒業、警察庁入庁、その後、退職」とだけ、紹介され、経歴も年齢もわからない。内容は、安倍政権に奉仕する官邸内の警察官僚をはじめとして、外務省、財務省、警視庁、さらには報道機関などの生々しい実態が描かれている。この本は、政権に奉仕し、政権をコントロールさえしようとしている、杉田官房副長官と北村滋内閣情報官ら官邸ポリスを告発するために、書かれた内部告発本のようだ。
最近の毎日新聞のインタビューで、前川喜平元文科事務次官は、「この本が本当だとしたら、現代の特高警察だと思いますよ。私は2016年の9月か10月ごろ、警察庁出身の杉田和博官房副長官から官邸に呼び出され「新宿の出会い系バーというところに行っているそうじゃないか」と言われた。「週刊誌から聞いた話だ」と。それなら週刊誌が私のところに来るはずですが、来ませんでした。」。「菅さんが総理になれば、もっとひどい警察国家、恐怖政治になるのではないかと懸念しています。」「そういえば杉田さんに官邸に呼ばれた時、「○○省の○○ 次官にもそういうことがあったよ」と言われたんです。それで「みんな尾行されているのかな」と思った。弱みを握られている人は役人だけではなくて、与野党の政治家の中にも、メディアの中にもいるかもしれない。そう思いました。」と述べている(毎日新聞6月20日 これが本当なら「現代の特高」…前川元次官が語る告発ノベル「官邸ポリス」のリアル)。
まさに、安倍・菅官邸は、公安警察が集めた個人情報によって、政治家や官僚、ジャーナリストの弱みを握って黙らせるという、独裁的な政治を進めていることが、元事務次官から告発された。そして、「新聞記者」という映画にもなった。しかし、官邸の誰も、菅官房長官も、杉田和博官房副長官も、北村滋内閣情報官も説明責任を果たそうとしない。

プライバシーの保護のシステムが自由権の核となる

共謀罪の法案審議が頂点を迎えていた2017年5月、国連人権理事会の任命するプライバシー問題に関する特別報告者であるジョゼフ・カナタチ氏が、この法案が刑事法に求められる明確性を欠いていること、市民のプライバシー侵害を拡大する恐れがあるにもかかわらず、その歯止めを欠いていることを指摘する公開書簡を安倍首相に送った。
カナタチ氏は同年10月2日に来日し、日弁連における講演で、プライバシー保護のためのセーフガードについて、監視システムは、使用前に法律によって定められなければならず、実際の監視が行われる前に、事前の独立した認可を受けなければならないこと、国家による個人の行動の意図的な監視は、対象を特定し、合理的な疑いに基づいてのみ可能であること、国際的な監視システムが必要であることなどを提言した。
この勧告に対する官邸の問答無用の反応も、特筆すべきものだったといえる。
カナタチ氏によって示されている条件は、極めて具体的で、日本でも、実施可能だ。むしろ、このような制度の導入は、日本の民主主義的な政治体制を持続させるため必要不可欠となっているだろう。私たちも、ドイツやオランダなどのプライバシー保護の先進国に学ぶ必要がある。情報警察活動に対する市民的な監視を強化していくことが、市民社会の萎縮を防ぎ、民主政治を取り戻すための、いま最も重要な課題となっている。
映画「新聞記者」は、このような議論の出発点となり得る。これからの日本の社会を支えていく若い世代にこそ、是非見てもらいたい。