3時起床、Facebook、メールのチェック、八重の桜、最終編四を読んでいた、
山本むつみさんの脚本、最後をどう締めくくるのか気になっていた、
八重の周りの人は、ほとんど亡くなり、養子の平馬が身内でただ一人残っている。
淋しさ余って、会津へ旅立つ、、、
最後の會津だ、
走馬灯のように流れた人生を振り返って居る所に頼母が声を掛ける、
にしゃ、帰ってきたのが、桜の木に登り掛けていた八重に話しかける、
初めのシーンと同じだ、
平和だった会津藩が再現される、
頼母は、にしゃは桜だ、会津の桜だ、
桜は決まって彩やかに毎年咲いてくれる。
しみじみと頼母は話す、
頼母も筆頭家老でこの戦には猛烈に反対した、
家族は全員自決した、
辛酸を舐めた時を生抜き、静かに会津の長屋で暮らしていた。
今回の大河ドラマは、
大震災を受けた東北に勇気とやる気を齎す為の仕組みがあった。
山本さんは、會津人に成り切って描いてくれた脚本、
この大河は長く会津に語り継がれて行くことだろう。
今回、お城に記念碑が建てられた、司馬遼太郎を忍んでだ。
司馬遼太郎は何度も会津を訪れている、坂下にも講演で来ている。
会津の風土、気風が気に入ったのだろう、
日本の武家社会は会津を知らずして語る事なかれとも言っていた。
告別式、いよいよ冬将軍到来を告げる寒い雨が降っている、
隣組の方々は早朝よりお手伝いに来てくれている、有難い。
昨夜は最後の夜、家内もご遺体と共に過ごした、
兄弟揃って昔の思い出を語り合ったのだろう、
今日一日は、多くの弔問客が来られる、粗相の内容にしなければ、、、
町内の方が多かった、ゆかりの方はみんな先に行ってしまっている、
本日の光明寺様、何時もと違う実に丁寧だ、
伴奏の貴徳寺様も気合が入っている。
病に侵される前は、お寺にいつも行ってた、
和讃を好んで居たらしい、
お寺さんの一番大事な檀家さんになるのだ、
思い出を多く語られた、
きっと成仏してくれる、大好きな爺ちゃんに、もうすぐ会える、
立派な葬式ができた、大黒堂紫雲閣をはじめ、
お手伝いを頂いた皆様に感謝申し上げる。
戒名 浄徳院明譽琴堂覚温大姉
安らかにお眠りください、、、、、、、、