3月7日(土)太平洋戦争最後の首相 鈴木貫太郎

2時40分起床、
ヒゲを剃り、歯を磨き、顔を洗って書斎に入る、
何時ものようにFacebook、メールをチェックし数独を解く、
昨日に引き続き歴史秘話ヒストリアをオンデマンドで見る、
天皇の側にいた男、鈴木貫太郎、太平洋戦争最後の首相を勤める、
二・二六事件九死に一生を得る、海軍参謀を経て侍従長に付いた、

君側の忠と慕われ、天皇の良き相談相手として勤めた。
反乱軍からは鈴木貫太郎天皇の君側の奸をみなし襲撃をする、
四発の銃弾を浴びたが、妻たかのせめてもの別れをと止めを遮った、
懸命の救助で一命を止めた、

その後天皇からの要望で昭和20年に内閣総理大臣に就任、
いかに戦争を終わらせるか、そればかりを考えていた、

たかは昭和天皇幼少時の養育係を4年勤め、鈴木貫太郎と結婚、

鈴木貫太郎は政治は戦争に関与せざるべしを信条にしていた、

ポツダム宣言が送られて来た、これを受諾するか否かで内閣も軍部も混乱した、
受けるにしても条件をどうする、東条外務大臣は国体護持さえ受けて頂ければの意見、
阿南陸軍大臣は現状保持、8/9御前会議で誠に異例ではありまするが、
天皇の聖断を仰ぐしかありません、
8/6広島の原爆投下、8/9長崎、ロシアの参入、
一刻の猶予も残されていなかった、

西欧の立憲君主制だけは約束された、その間の鈴木貫太郎の苦悩が滲み出ている、
天皇は私と鈴木貫太郎、肝胆相照らし、
鈴木がいたから私はこれまでこれたと自戒していた。

天皇の戦争終結ポツダム宣言の受諾、無条件降伏を宣言した。
即日内閣を解散し、
鈴木貫太郎は郷里の千葉で妻たかと野菜を作り静かに暮らした、
墓石には尽忠と彫られている、
たかとの最後の別れには、永遠の平和、永遠の平和と二度発し息を絶えた。

戦後処理がこう言う事だったのかと初めて深く知ったヒストリアであった。
きのう、レイテ島沖で海底の戦艦武蔵が発見された、不沈戦艦と騒がれた武蔵、
2400名の乗組員、生き残ったのはわずか1000名だった。