11月30日(月)民友新聞4万号の軌跡

2時起床、朝支度をして、柿を2個剥き、知覧茶の冷水を持って書斎へ、
何時もの事だ、11月も今日が最後、明日からは師走、あっという間の一年が過ぎる、
3日からベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ドイツへ夫婦で出かける、
連日のISとの戦争が報道されている、何が起こるか分からない、
旅行をキャンセルしたいが旅行会社は危険な事はないと言い切る、
この際だから追ていく、ハプニングは起こるだろうが、、、
そう言う経験をするのも旅の醍醐味、

昨日は、ロータリー青少年委員会、ローターアクト会長幹事会があった、

地区委員なので参加、喜多方ローターアクトが地区の会長を出している、
金今君が会長、運営幹事が中野君、中野君のお父さんはクラブの会長を勤めている、
地区内に7つのローターアクトクラブがある、大学生クラブ3つは欠席、
半期が過ぎその活動報告、今後の行事日程の協議が主だった、
遜色無く活動はされていたようだ、
エコキャップ回収とか、ゴミゼロ運動など
地味な活動はどうかなぁって感じたが、やらないよりは良い。

次年度は若松南ローターアクトより地区代表が出る、上野君とか言ったか、
3月に京都で全国ローターアクト研修大会がある、行かないかと誘われたが、
2月の後半に大阪と京都へ2回、行かなければならない、
こちらは義務出席なので、
ローターアクト全国研修会はパスか、、、、

倉本聰さんが民友新聞に思いを寄せている
時代超え"県民と共に"
 福島民友新聞が県民と共に歩んだ4万号の軌跡。

長い道のりの中では、多くの出会いがあり、感動の出来事があり、
悲喜こもごものニュースが人々の記憶の中に刻まれてきた。

 震災、原発事故の風化に心を痛める脚本家倉本聰氏は、
被災地を舞台にした創作劇「ノクターン夜想曲」を書き下ろし、
福島民友と共に今年、県内5会場で公演を成功させた。

一方、ノンフィクション作家門田隆将氏は、
かつてない複合災害で新聞製作の危機に直面した地元紙の長い一日を克明に取材、
著書「記者たちは海に向かった」の中に福島民友の記者魂を書き上げた。
言葉に心血を注ぐ二人のプロが今回、4万号に際して届けてくれたエールは、
復興に向けて歩みを続ける県民たちへの、強いメッセージでもある。
(ルビを除いて原文のまま)

 【脚本家・倉本聰氏】地方紙・民友の意義 "住民目線の意志"感じる

 富良野に住み始めた40年前から、僕は新聞をとることを止(や)めた。
世の出来事はテレビで判(わか)るし、
そこに加えられた論評というものに自分の思考が左右されるのを避けた方が良いと思ったからである。
読売・産経だけ読んでいれば、頭はいつか右を向くし、
朝日・毎日だけ読んでいれば左の側に頭がぶれる。
日経のみを読んでいれば、頭が経済でいっぱいになる。
そういうことを排除してテレビが中継してくれる世の中の事象のみを客観的に見つめ、
自分自身の座標軸がぶれないようにしっかり持ちたい。
そう思ったから新聞をとるのを止めたのである。
 その禁を40年ぶりに破ったのは、
3・11のあの事があってから度々福島に通うようになってからである。
 福島民友をとるようになった。
 民友は一面から中央紙とちがう。3・11の事の重大さが、
風化されずにそのまゝ続いているし、創(つく)り手というより読者の立ち位置が、
その紙面からびんびん伝わってくるところに、地方紙の強い存在意義を感じる。
 同じ、地方に住む者として、中央に対する 地方 という言葉の意味を、
中央紙ではいつもどこかで疑問符つきで感じてしまうのだが、
民友にはいつも住民目線の本物の地方の意志を感じる。だから読んでいて面白い。
 地方創生を国が唱えるなら、中央の論より地方の記事を政治家はもっと読むべきだし、
そこから発想を起こすべきである。

ノンフィクション作家・門田隆将氏】勇気と希望を運べ!福島民友 報道を越え、生活基盤に

 明治28年に創刊以来、一号一号を積み重ねて、
ついに福島民友が紙齢「4万号」に達した。私はそれを聞き、
さまざまな感慨にとらわれた。
 2011年3月11日、東日本大震災福島民友は「紙齢」を欠く、
ぎりぎりの事態に陥った。
それは、福島民友にとって、「第3万8341号」目を出せるか否か、という危機だった。
社内の電源喪失と、
取材の最前線で相双支社の熊田由貴生記者(享年24)を津波によって喪(うしな)うという
二重の悲劇の中で、福島民友は苦闘した。
 その戦いの一部始終を、私は、拙著『記者たちは海に向かった』
角川書店)に詳細に書かせてもらった。
その凄(すさ)まじい戦いぶりは、報道の原点とは何か、
を振り返らせてくれるものだった。
 かろうじて紙齢をつないだ3月12日朝刊、
すなわち「3万8341号」目が出た時、
それを手にした読者に、大いなる勇気が湧き起こったことを、
取材を通じて私は知った。
 それは、新聞が単なる報道媒体を越えて、
人々の生活のインフラ(基盤)そのものであり、
"生きる勇気や希望"をもたらすことを証明するものだった。
 今、福島県風評被害に苦しんでいる。
プロの活動家が福島に入り込み、ことさら被害を強調し、
逆に復興への大きな障害になっているのだ。
それらさまざまなタブーに闘いを挑んでいるのが福島民友だ。
私は、心から福島民友と、その読者である福島県民にこうエールを送りたい。
 「福島を立ち直らせることができるのは、あなたがた福島人だけです。頑張れ」と。

当時のことが蘇る、1000年に一度の大災害だった。
原発事故は今後どうなるか今でも心配だ、
危険を裏合わせで生活してる、馬鹿げた事だが、これが現実だ。
年毎に風化が進み、福島の事は脇に置いておき、オリンピック一色染まるのだろう、
原発事故は人災、馬鹿を見たのは30k圏内の被災者、やり切れないだろう。

ヨーロッパ旅行が何事も無く帰ってこれる事を望むばかり。。。。