2月16日(火)司馬遼太郎、この国のかたち

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日曜日に見逃した、司馬遼太郎のこの国のかたち第2話
武士の700年の遺産をオンデマンドで見た、

武士の始まりは坂東武士に始まる、農民は律令制度から逃れ山奥に開墾を始まる、
それらの農民は鎌倉に結集し、
百姓の政権となる幕府を作る、そこには「名こそ惜しけれ」の精神が芽生える、
恥ずかしい事はしない、助け合う、清貧を旨とする、
やがて戦国時代、小田原北条早雲は早雲寺殿21カ条を掲げ、
領民皆が守る公の精神を植え付ける、

秋田、新屋地区では、砂嵐で悩まされていた、
それを救うのに松を植える防風林の提案をした栗田定之氶、

一人で10万本の松を植える、
武士の魂とも言える公の意識は明治の維新後脈々と続いた、
近代化を成し遂げた明治の事は坂の上の雲で見事浮き彫りにされている、
全国各地に小学校を8年間で作った、
鉄道は30年間で7000キロも敷設した、
郵便局はわずか4年で成し遂げた、
国の舵取りをした政治家は公の意識が強く汚職など一件もなかったと言う、
国の近代化に命を掛けていたのだ、

軍部の力が大きくなり、ある時からその名こそ惜しけれ、と言う公の精神は狂い出した、
昭和の戦争に突っ込んだ軍部は天皇から統帥権を奪い取り、国民の個も奪い取って、
戦争へと導いた、
日本歴史の中でこんなバカな時代は無かったと言う。
司馬遼太郎の嫌う言葉に熱中、熱狂がある、
個の意識は出せない暗黒時代だった、

没後20年、この国のかたちを書き終えた司馬遼太郎は警告発した、
そのメッセージが残されている
私ども日本社会は、武士道を土台にしてその「義務(公の意識)を育てたつもりでいた、
しかし、日本の近代化は必ずしもそれが十分ではあったとはとても思えない、
いまこそ、それをもっと強く持ち直し、さらに豊かな倫理に仕上げ、
世界に対する日本人の姿勢を新しいあり方の基本にすべきではないか、

司馬遼太郎さんの歴史的考察力には、鋭いものがある、
未来を見る力も願望も的確だ、

21世紀の子供達へは、短編ではあるが的確なメッセージを贈っている、
我が町坂下にも講演に来てくれた、