3月15日(火) 日を追う毎に被害拡大

連日、東日本大震災の報道があり、被害の大きさに心が痛む
死者も1万人は下らないだろう、
沿岸に押し寄せられた死者は1000人単位で報道されている
津波の恐ろしさがこんなにも凄いものとは考えも付かなかった。

報道は原発事故の推移を刻々と伝えている、
3号機の水素爆発に続き、2号機の燃焼棒が露出、
かなりの放射能が流出している、

雨が降れば一気に落ちてくる、
放射能は体内に入ると一生消えず放射能を出し続ける
白血球がまずやられる、
政府は最大の努力をしているので協力を、と言っているが
浴びたら最後どうする事もできない。

恐い話だ、皆は、俺だけは大丈夫、そんなこと、
この時代にありえないとたかをくくっているが
現実は水素爆発にかかわった社員は被爆をしている、

白煙は上空に舞い上がり雨が降れば一気に落ちてくる、
国中危険にさらされる事になる
雨に当たったらお終いだ、合羽、傘は必需品だ、
帰ったらシャワーを浴び洗い流す事が大切だ

昨日は喜多方ロータリーとしてどのように支援が可能かと相談をした、
できる事から早急にやるしか無い、
支援物資を募り今日から出かけるようにした、

小松左京日本沈没が現実のものと成ってしまった
このままで終わってくれればよいが、
この先どうなるかは誰にも分からない、

東海地震に繋がらないとも限らない、関東大震災もよぎる、
やれる事を率先してやるしかない、
会社の事は倅どもに任せ、ボランティアに出かける、

枝野官房長官は談話を発表し格納容器と原子炉を結ぶ弁に欠損が見つかり
水蒸気を水にかえる循環が出来ず、全てを炉外に放出する非常時を行なっているとのことだ。

上空は放射能で汚染されている状態にある
絶対に雨に当たってはいけない、半径100キロは極めて危険な状態だ

例会があり多くの会員から支援物資が届けられた。
取り合えず積めるだけ積んでワゴン車と私のプリウスに乗せ郡山方面へ向かうことにした。

民友郡山総支社により内情を聞き野球場が本部になっているとのことで向かった
ボランティアがテキパキと行動し我々の物資も処理された、
うまく使ってくださいと申し上げ
後にした、
会津に向かう車はいわきナンバーが多く避難をしているのだろう

原発の様相が気になるいざ炉心が溶解し放射能が散らばったら150キロ周辺まで危険な状態に陥る
会津も当然入る、最悪の状態に陥らない事を願うばかりだ