11月25日(日)初滑り

昨日とは打って変わり、お日様がさしている、
箕輪スキー場が早々とオープンしているので、孫の心大へ電話をした、
初滑りに行くか、行きますと言う、

さっそくスキー用具を取り出し9時に迎えに行く約束、
準備万端と整えて玄関で待って居た、
天気もイイし今日は最高のスキー日和だなあ~
箕輪スキー場は標高1000mの高地、
人口降雪機と合わせて十分の雪はあった。

着いて驚き、駐車場は満杯の様相、シャトルバスでスキー場へ行く、
足慣らしなので4時間券を購入、シニア券とジュニアで2900円
リフトは10分待ち、これ程に混み合うとは予想も付かなかった。

再度スキーブームの到来があるのではと、錯覚を起こすほどだ。
2時間ほど滑ったら飽きたらしく
そろそろ帰るかと言ったら、
ジッちゃんアピタへ直行、コンタンがあるのだろう、

アピタも超満員、くまざわ本屋で心大は立ち読み、1時間は見ていた、
小学2年から立ち読みとは、、、
時代の変遷か、、、

雑誌を弟の分も買い、孫とのデイトも終わった。

川内村のドキュメントを見た、遠藤村長が帰村宣言をしてからの記録だ、
私も幾らかの関わりがあり、興味深く見ていた、

川内村は第一原発から20キロ圏内だが爆発当時風向きが海側か北西で、
川内村は汚染度が低い、

遠藤村長は昨年いち早くチェリノブイリを視察し、
汚染地区の惨状をつぶさに見てきている、
何とか帰村出来ないか探っていた、

決断をしたのは確か1月だったと思う、
ドイツからの支援金を頂いている、何処にするか迷っていた時に、
川内村を応援しようと当時郡山に避難していた川内村へ伺う、

4月の合同入学式のも参列した、目録を差し上げた。
8月には鹿児島キッズキャンプに私が参加、

先だっては学用品の要望があり届けて来た。

ドキュメントは次から次と起きる問題に対応する遠藤村長、
除染でブルー包に入れられた汚染物がどこかしこに置かれている、
これをどうするか、中間置き場が決まらない中、
村中も置き場がないほどになっている、

3000人の川内村に戻って来たのは、
今月で1000人になった、
長い戦いを虐げられている、
小学校も100人中30名しか戻ってきてない。
現実は非常に厳しい、、、、、、、

汚染された地区はこれからどうなるのだろう、
忘れ去られてしまうことだってあり得る、神戸もそうだった。
強力なリーダーシップが望まれる。

復興景気に沸き返っているところ、やり場の無い苦しみに陥っているところ、
福島も複雑な状態におかれている。
割り切れないやるせなさ、子供の教育、就労支援問題。