暦の上で今日は大寒、寒そう!
上空は澄み切った青空、こんな日は特に寒い、
iPadでいろいろ調べていた、昨日から気になっていた、中野竹子
山本八重と中野竹子は武勇にも優れ、比べられている、
竹子は江戸定詰納戸係、中野平内の長女、
赤岡大助より文武の才を授かり、養女になる、
慶喜の大政奉還で会津は江戸屋敷を払い会津へ、
赤岡大介も坂下にいた弟徳五郎宅の隣に道場を開き武芸を指南
ここが何処なのか、はっきりしない、
一説では古坂下の桑原タイヤ屋ではないかという人もいる、
お墓は法界寺にある、住職も詳しく知ってない。
一同は娘子軍を結成し照姫の護衛を第一に行動、城門が閉ざされ
誤報が続く中、照姫は坂下へ避難されたと聞くや急いで坂下へ、しかし誤報だった。
次の日、長岡藩の応援隊と400名の隊員ともに若松へ、
高久を過ぎ、柳橋近くで大垣藩と遭遇、激戦で竹子は額に銃弾を受ける、
優子は介錯をして、竹子の首級を坂下へ、
この事は妹の優子が詳しく語っている。
母こう子、優子はお城に入り八重らと籠城戦に参戦、
照姫を護る事に会津の婦女子は懸命だった、
竹子は照姫の薙刀指南をしていたし、聡明で美しかったと言う、
中野竹子は雅号を小竹といい、
辞世の句は、もののふのたけきこころにくらべれば、数にもはいらぬ我が身なからも
法名:美性院筆鏡秀烈小竹居士
享年22歳だった。