7月27日(金)寝室、書斎に冷房が入った

1時半起床、冷房が入って快適になった、
今年は記録的な猛暑が続き耐えられない日々を体験していた、
汗かきの私にとっては最高の贈り物だ、会社も退職し書斎で過ごす事が多い、
眠くなったらベットに横たわり、自由気儘な生活である、
iPad Proと過ごす時間が増え、居ながらにして世界の様子が分かり、
欲しい物もすぐに手に入る、便利な世の中になったモンだ、
facebookに投稿される事柄も手に取るようにわかりこれ一台で新聞、テレビは入らないぐらいだ、
9時に温泉前の農家直売所が開く、スイカを目当てに急いだがタッチの差で2個買われてしまった、
1個譲ってと頼んだが顔も合わせない、仕方なく諦め温泉へ浸かる、
9時ごろは入れ替えで混んでないair podsiPhoneで芹洋子の歌を聴きながら入る、
サウナと水風呂、極楽だ、、、椅子に座って軽目の体操をする、これがほどよい
体重計に乗ったら87・7キロ増えている、夏太りなのか運動不足なのか、、

中村彰彦著の「歴史の坂道」も長いこと読んで居たがいよいよ最終編、
河井継之助を取り上げている長岡藩切っての切れ者、気骨者だ
陽明学に心酔し江戸へ遊学、伝習録を習得する、
心即理致良知知行合一、無善無悪説を心に据える
心即理;心と理は別々では無く合致させよ、
致良知;人間本来備わってる道徳心、判断力を発揮せよ、
知行合一;認識と行動を一緒にせよ
無善無悪;人間の欲望も肯定する立場

河井は気骨者で会津薩長は戦うべきでないと嘆願書を提出して談判を申し出たが
叶わず長岡藩は会津側につき戦う羽目になった、
会津にとってはこれ以上の味方はなかったが長岡では何もそこまでと異論もあったはずだ、
最後の最後まで加勢し城に入り戦った、

最後は秋月悌次郎のこと、会津藩切っての藩士、若くして江戸留学が許され昌平坂学問所に学んだ
西国、九州を見聞するよう命じられ会津藩切っての西国通になって帰ってきた、
山田方谷河井継之助とも知り合った、藩の公用方として京都守護職を補佐、
会薩同盟を結ぶ功績もあったが妬まれて蝦夷地に飛ばされた、
その間に会薩同盟は解消され
鳥羽伏見の戦い、戊辰の役に突入してしまった、敗戦の処理も秋月悌次郎が仕切った、
坂下の束松峠で詠んだ「北越潜行の詩」今でも多くの会津人に親しまれている、

行くに輿なく帰るに家なし
国破れて孤城雀鴉(きゃくあ)乱る
治(ち)功を奏せず戦いに略無し
微臣罪ありまた何(なに)をか嗟(なげ)かん
聞くならく天皇元より聖明
我が公の貫日(かんしつ)至誠より発す
恩賜(おんし)の赦書(しゃしょ)はまさに遠きに非ざるべし
幾度(いくたび)か手を額にして京城を望む
之を思い之を思えば夕(ゆうべ)晨(あした)に達す
愁いは胸臆に満ちて涙は巾(きん)を沾(うるお)す
風は晰瀝(せきれき)として雲は惨憺たり
何れの地に君を置きまた親を置かん
秋月韋軒胤永(かずひさ)
戦争はどんな人間でも悪魔にしてしまう、狂ってしまう魔物が住み着くのだ、
一度始まると殺し合うのが正当化される、こんな事を永遠と続けた歴史が今の世界だ、