1月16日(木)海行かば

2時起床、昨日は寒かった、道路が凍りつき歩くのに難儀する、
Facebook、メールのチェック、よからぬ詐欺まがいのメールがやたら来る、
どんな心境で送っているのか人生二度なしなど考えてもいないのだろう、
早く起きると、色んな事ができる、特にiPadは情報のるつぼ思いのままに検索し、
辿り着くことができる、

立命館大学広報に12/16〜12/20までBKCと衣笠校舎の生協が
福島郷土食フェアを実施してくれた。
売り上げの一部を被災地に寄付するチャリティセール
喜多方ラーメン 1725食
会津ソースカツ丼 476食
こづゆ 206食
ふくしまからはじめよう、と福島県立命館が連携し支援体制が整った。

川口総長も大学は人々のお役に立って始めてその役目が発揮される、
己の事ばかり考えて居てはいけないと言っていた。
末川総長も若者にいつも言っていたことは、未来を信じ、未来に生きる、こと。
学問は人々にお役立って始めて生きるのだ。と

蒲生氏郷の事が気になり調べた、
氏郷は近江日野の城主から伊勢松阪へ移封、
最後は陸奥の国会津黒川の城主になった、
信長の娘をもらい、戦国武将の名雄、
多くの武将から恐れられた、
秀吉も氏郷、官兵衛が一番恐れた武将だったのだろう、
会津の基礎を作ったのは氏郷、城下に町割を施し商人を近江から連れて来た。
恐れた秀吉は会津入り際、換地を引き禄高を決めた、
92万石福島全体と宮城の一部までに広がった、
今で言う県知事の役目だ、
若くして毒をもられ亡くなった、辞世の句は
「限りあれば吹かねど花は散るものを、心短き春の山風」さぞ無念であったろう。

you Tubeを見ていたら鶴田浩二に行き当たった、
学徒出陣をした鶴田浩二は軍歌をよく歌ってた、遺書の朗読も良くしていた、
今改めて見ると涙が出そうになる、
同期の桜、異国の丘、海行かば
朗読は、神風特攻大和隊海軍少尉 植村真久の遺書を朗読したもの、
娘素子に宛てた手紙だ、
起こってしまった戦争、なんとしても日本の将来を思い、
命を捨てた若者、特攻だけでも3000名は超えている、
南国ラバウル、レイテ島、
残った飛行機に帰らむ覚悟と爆弾を背負い飛び立って行った。
靖国神社にはこういう人たちが祀られている、
尊崇の念を持って崇拝することにためらいはない。

今日はこれからJSERAの理事会が東京であるので行ってくる、
常務はフェニックスの展示会で東京へ行く。
仙台ではアシックスの展示会があるが、勇人君はネットが忙しく行けないという。