3月14日(金)春うらら

2時起床、昨夜は色んな事があり、夕食も取らずに寝てしまった、
温泉での事故、汗をしこたまかいた、ベットに入ったら寒くてしょうがない、
毛布を一枚追加してどうにか就寝、2時には目が覚めた。

パラリンピック回転座位で我が故郷猪苗代出身の鈴木猛史君が遂に金メダルを獲得、
彼は中学2年の時に交通事故で両足を切断、
青春をスキーに掛け、17年間の努力が実り掴んだ金メダル、大回転と合わせて、
金メダル、銅メダルを勝ち取った、おめでとう。

来週出かける漫遊記の事を調べていた、
3/24大阪谷町4丁目10:00集合、会津からは、とてもその時間には集まれない、
仕方なく、一日早く出る事にした、3/23若松一番で出発し小田原城を見学する、
ひかりの本数は少ないが、小田原駅止まりが無い訳ではないらしい、
小田原城は、三代当主北条氏康の時代に難攻不落の城となり、上杉、武田の攻撃にも耐えた。
駅より10分程で行ける。

続いて掛川城へ行く、掛川はこだましか止まらない、小田原から1時間半で着くらしい。
駅から歩いて7分の所にある、
朝比奈氏が築城し、ここはしばしば争奪戦の舞台になった、
豊臣秀吉が天下を取って、家臣の山内一豊が城主になる、関ヶ原の合戦
一豊は高知に城を築く。
1994年に天守が再建された、日本初の木造復元天守である。


東海を制す重要な拠点だった掛川城には、さまざまな言い伝えが残っています。
霧吹井戸の伝説もそのひとつ。
西から徳川家康、東から武田信玄に攻められた駿河今川氏真は、
重臣朝比奈泰朝掛川城へ逃げ込みます。
この城を落とそうと家康が攻撃を仕掛けた際、
井戸から立ちこめた霧が城をすっぽりと覆い隠し、
徳川軍は攻撃できなくなったといいます。
以来、掛川城は「雲霧城」とも呼ばれるようになりました。
この霧吹井戸は、天守台の脇に現存しています。

1992年9月2日(水)アメリカ視察最終日
サンフランシスコ
路面電車が通り、坂道のサンフランシスコ、歩いて視察をした。
昨日、TOPスポーツのオーナー清水さんよりレクチャーを受け、
お店を見せて頂いた、約50坪の店舗、天井は高い、
壁面いっぱいに陳列、プライスは日本語と英語で表示してある、
接客は
観光地でもあるので、以外と積極的、まあまあのお店であった、
続いてダン・シャレード、ゴルフとフィットネス機器販売、
大型店舗、店員も多く繁盛している店舗のようだった。
三番目はバナナ・リパブレック
若者向けのシューズ販売、ベーシックな物もしっかりとあり、
繁盛店。
最後はノースフェースアウトドア直営店
カテゴリー別にこだわりのある素晴らしいショップ。
お客様第一主義を貫き、一生のお付き合いを願うという、コンセプトショップ。

カンタベリーも見てきた、午後はパブリックゴルフ場へ
ベーブリッチを眺めての⛳️場
薄暗くなるまで、8時を回ってやっと終わった。
夕食は一点豪華、最後のサンフランシスコ、
これからお付き合いするスポーツ仲間、いい思い出を作ることができた。