5月23日(土)松山城へ

2時半起床、Facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
今日のメーンは松山城だ、
松山の勝山山頂にそびえ立つ、
西南麓に二の丸、三の丸、を構える平山城
日本三大連立平山城だ、
1933年ごろまで、本丸部分には40棟の建造物があった、
そのうち1949年までに19棟が火災で失われ、
現存は21棟ある、
多くは重要文化財に指定されている、
初代藩主の加藤嘉明がこの地を「松山」と呼ぶこととし松山の地名が誕生した。


隠門と続櫓


乾櫓


野原櫓


松山城本壇虎口


本壇の北隅櫓、10間廊下、南隅櫓

初代藩主は加藤嘉明、慶長8年に正木城より移封、
20年間の歳月を掛けたが完成途上、会津藩に転封される、
その後、会津蒲生氏郷の孫蒲生忠知は上ノ山城より移封、二の丸を完成させた、
忠知は短命で
江戸参覲交代途中に亡くなって蒲生は絶える、

続いて内子町街並を歩く、
木蝋記念館、上芳我邸を見学、ハゼの木の実から作る、
会津金山では漆の実から蝋を作る、似ている。
内子座、大正5年に商家の旦那衆が建てた劇場、
中には入れなかったが、今での大活躍している。

今日のスケジュールは、非常に過密、
簡単に昼飯を食べ大洲城
ここは掛川城と同じく木造天守閣、
古絵図や資料をもとに10年の歳月をかけて復元された。
藤堂高虎が基礎を成した、
明治21年に天守は取り壊されたが、4棟の櫓は解体を免れた、(重文)
平成16年に木組模型を元に復元工事、
木造では4層4階は日本一でかい、

本日最終見学地、宇和島城、ここも藤堂高虎が創建している、
望楼型天守伊達政宗の嫡男、初代藩主は秀宗、二代藩主宗利が整備した。
伊達入城から400年の記念の年、天守広場ではお茶の接待、
キツイ石段を登り、最高に美味かった。

現存天守閣は、華麗さと格式を併せ持つ天守であった。

高知まで約2時間のドライブ、夕食は一人で美味しい鰹のたたき丼を頂く、