2時半に起床、Facebook、メールのチェック、
一昨日からの雨で、随分と涼しくなった、昨日の雨は降ったり止んだり、
各地のイベントも苦慮していたはず、
何てったってイベントは天候次第、
お天道様にお願いするしか無い、
喜多方は、21世紀シアター芸術祭、子供向け、若者向けが多いようだ、
ほうぼうの会場で大道芸や音楽が行われている、
明日(10日)は坂下の墓参り、元清のばあちゃんは新盆、
1日には八葉寺へ行きねんごろに弔って来た、
天気が良ければ、今年最も大きくて明るい月が見られると言う、
エクストラ・スーパームーンと言うらしい。
2007年の手帳を捲っていたら、こんな文章が、
サムエル・ウルマン、「青春とは、心の若さである」と、
ロータリーの心、入りて学び、出でて奉仕
水について一言
この地球上の水の97.4%は海水である、淡水は2.53%、
その内氷河等が1.76%
利用できる水は、たったに0.8%しかない、肝に命じなければ、、、
笹井芳樹先生は何故に自殺を、
謎が深まる、論文だけの問題ではなさそうだ、
女性関係が見え隠れしている、Oさんとの関係が、
Facebook等で報道されている
それが本当なら、寧ろそちらの方で悩んだことも考えられる。
再生医療のスペシャリスト笹井氏に魔が指したか、、、、
呂律が回らないほど疲れていた時の有ったらしい、、、、、
1945年8月9日11時2分、長崎に原爆投下された、
アメリカは狂ってる、広島で原爆の威力は十分に分かったはずなのに、
長崎の原爆投下はプロトニューム型で小型でも数百倍の威力が有った。
アメリカ追従は最後にしっぺ返しを食らう事に、、、、
◆被爆者代表「平和への誓い」全文
一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、
当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。
八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。
「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、
立山町の防空壕(ごう)へ行きました。
爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。
しかし敵機は来ず、
「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。
そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。
私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。
お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。
その瞬間空がキラッと光りました。
その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。
しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。
外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、
お母さんになってから、突然亡くなりました。
たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、
たとえその時を生き延びたとしても、
突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。
私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。
わたしが被爆者でなかったら、
こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。
原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。
今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。
そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。
被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。
しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。
今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。
日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。
武器製造、武器輸出は戦争への道です。
いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。
歴史が証明しているではないですか。
日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。
被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。
福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、
仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。
小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。
このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。
使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。
被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。
小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。
この子どもたちを戦場に送ったり、
戦禍に巻き込ませてはならないという、
思いいっぱいで語っています。
長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、
再び愚かな行為を繰り返さないために、
被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。
日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。
私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、
私の平和への誓いといたします。
平成二十六年八月九日
被爆者代表 城台美弥子
(東京新聞)
被曝一市民がこうして訴えても、政府は聞く耳を持たない、
国民が求める本当の幸せとは、平和な世界とは、
非核三原則、原子力に頼らない恒久平和の実現へ舵を切らねば、、、、