10月19日(日)小滝コト一周忌法要

2時半起床、Facebook、メールのチェック、
各地でイベント多し、元清のばあちゃんが亡くなって一周忌に成る、
昨日の高砂屋の両親の法要に続き、同じ光明寺で行われた、
今朝、読んでいた修身教授録、森信三先生の口説く人生に二度なし、を
真剣に受け止め、天を恨まず、人を咎めず、生きている人が何人いるだろうか。
楽天知命、天命を信じるが故に天命を楽しむと言う境涯、
人間として生まれたことに、感謝し、全宇宙に思いを巡らし、正しく生きる。
連綿と継がれる命の尊さを知る、法要はそんな意味があるのだろう、

11時の使いなので時間あり美里町公民館で天海大僧正の写真展が開かれているので、
行ってきた、
天海大僧正一大絵巻なるものがある
文殊菩薩の申し子生まれる
両親が文殊堂にお祈りをして授かった、知識欲が旺盛だったらしい、

龍興寺にて十一歳で得度す(1546)
名を隋風と言った、

14歳で修行に出る
儒学、史学、易など学ぶ

会津に戻り、稲荷堂の別当に(1573)
会津の領主葦名盛氏に切望され、鶴ヶ城内の稲荷堂を十年近く守る
別当とは、僧侶と神職を兼ねること、

葦名義広を護り、常陸
伊達政宗に敗れ、天海は甲冑に身を包み常陸

大僧正となる(1616)
家康が亡くなった後、天海は大僧正となって、徳川家の力となる

比叡山延暦寺の復興と再建(1634)
信長に焼き打ちされた比叡山の復興を、三代将軍家光に願い出る、

家光に看取られ、大往生(1643)
天海大僧正は、108歳で大往生する、徳川三代に大いなる貢献をした。

天海大僧正慈眼大師の言葉
気は長く、勤めは固く、色薄く、食細くして、心ひろがれ

これに心掛ければ、120歳までの長寿は全うされるであろう

昨夜の官兵衛、朝鮮出兵で多くの武士が他国で亡くなった、
官兵衛は、ここままでは日本国が滅びると秀吉に迫る、
秀吉、三成の悪知恵にはまり、
遂に官兵衛を蟄居させる、
切腹が免れない絶体絶命で官兵衛頭を丸め如水と名を改め僧侶となる、
三成との確執、関ヶ原では東軍に付くことになる。