佐瀬俊一君が亡くなった、10年前に脳梗塞を患い闘病生活も長かったがリハビリの甲斐があって自転車にも乗れるようになり、
散歩にも行けて元気を取り戻した、
奥様と二人三脚で旅行にも行けたし楽しい生活が送れていた、再発したのかは分からなかったが自宅で養生生活が多くなり弱っていったのだろう、、、。弔辞を読んでくれと頼まれた。
弔辞
家族より佐瀬君の訃報を聞き耳を疑いました。
つい先日、坂下支部会高同窓会を3年ぶりに開催する通知を出したら、
わざわざ会費を届けてくれましたね、
御礼の電話を差し上げたら元気のなさそうな声でなんとか生きてるよ、
行けそうも無くてごめん、
お互い身体に気を付けて元気で暮らそうなって電話は切れた。
思い起こせば佐瀬君とは長いお付き合いだった、
小、中学校時は塾が一緒で共に学び、
難関会津高校に合格し一緒のクラスにはならなかったが夏休みには尾瀬へも行ったね、
高校では、学校火災や新潟地震と決して良い環境では無かったが京都の大学を目指して
受験勉強をし佐瀬君は同志社大学に見事合格、
私は同志社には入れず立命館大学に合格、
京都での大学生活に青春を謳歌したことが懐かしく思い出されます。
年に何度かは喫茶店でお会いするとお前は何で関西弁を使うのってお叱りを受けた事を思い出す。
卒業後佐瀬君は英語の教師、私は道を間違えてスポーツ屋の親父、
佐瀬君は教員退職後は俄か百姓、
キュウイフルーツを箱一杯に持って来てくれた事を思い出します、
キノコ取りもどこで覚えたのか松茸をたくさん取った自慢話を聞いたことがあったっけなぁ
私が蕎麦打ちを覚え、先に行ってしまった三沢孝明君と蕎麦会を3度ほどやったなぁ
お世辞にも、美味い美味いと舌鼓を打ちいっぱい食べてくれ、酔っ払って歩けないほどになった事など懐かしく思い出されます、
10年ほど前に脳梗塞を患え闘病生活もリハビリに耐え元気を取り戻し
奥様と二人三脚、旅行をしたり楽しく過ごされたようだ、
人の一生は儚いものでいつかはこの世と別れる定めにある、
歳を重ねると毎年多くの友人とお別れすることになった、寂しいかぎりです。
また、いつか私もそちらに行くことになるでしょう、
佐瀬俊一君、三沢孝明君また宜しくお付き合いください。
存リ日の親友佐瀬俊一君を偲び謹んで哀悼の言葉といたします、
どうぞ安らかにお眠りください
令和5年9月1日
友人、桑原 勇健