9月15日(木) 珍客万来

古川利意先生が来訪、86歳の高齢だが達者だ
10月15日に行われる束松峠ウォーキングの誘いだ
第一回のときに参加をした、25年の前になる

かつて束松峠は交通の要所で越後から会津に入るには必ずここを通らなければならなかった
天屋は宿場で多くの人が逗留したはずだ
戊辰戦争の時も越後街道は最後の砦として戦歴の後がある
白虎隊士の多くもここで倒れた

降伏時に長州の輩を会津の気骨者が切りつけたのも束松峠だ
確か鬼の官兵衛こと佐川官兵衛が居たと記憶している


秋月悌次郎北越からの帰路に詩を詠んだ
北越潜行の詩を遺している

行くに輿無し帰るに家無し
国破れて孤城に雀鴉(じゃくあ)乱れる
治(ち)は功を奏せず戦は略無し
微臣罪有り復何をか嘆かん

聞くならく天皇元より聖明
我が公貫日(かんじつ)至誠発す
恩賜(おんし)の赦書(しゃしょ)応に(かさに)遠きに非らざる無し
幾たびか手に額して京城を望む

之を思い之を思いて夕べよりあいたに達す
愁(うれい)は胸臆に満ちて涙巾(きん)をうるおす
風はせきれきとして雲はきんたん
何れの地にか君を置き、又親を置かん

会津の人は束松峠と言えば行くに輿無し帰るに家無し・・・・
秋月悌次郎の詩を語る

南摩綱紀は途上という詩を書いている
国亡び家破れて情けに禁えず(た)
南冠を戴いて北へ向かって行く・・・

明治に入り三方道路が作られ、次第に束松峠は忘れ去られた

佐原先生からドイツへの誘いを受けた
吉原輝夫妻が東北大震災の支援金を募るためチャリティーコンサートを開いた
11月に2回目のコンサートを開くという御礼に行かないかと誘われた
思い半分、行きたくもありまた辛さもある

吉原さんが行くとなればお供せねばなるまい
蕎麦を打った
挽きたての蕎麦は格別だ
高遠蕎麦で舌包みを打った